2010年12月13日

弓場農場のこと

PB250263.JPG1年ぶりのブログ更新になってしましました。
この間、書きたい記事は多々あれどパソコンに向き合う時間が少なくなりました。
又、これまでの自分の記事が長文であり、もっと端的に書く事にしました。

 今年も年末になり、街はクリスマスの飾り付けで賑やかです。昨年は、控えめだった飾り付けも今年は豪華になりました。この様子は他の「サンパウロ暮らし」のブログで見ることができると思います。
 サテ、年末になると日系の皆さんの話題の一つに「弓場農場のクリスマス」に行くかどうか?が上ります。弓場農場は「日本を意識した文化的農業生活」をブラジルで唯一見聞きできる所です。
 詳しくは同農場のホームページ http://www.100nen.com.br/jp/yuba  をご覧下さい。
 また、農場があるサンパウロ州アリアンサ移住地の農業移民の足跡を研究している「特定非営利活動法人NPO現代座」の機関誌「ブラジル ありあんさ通信」にもアクセスが出来ますので、是非見てください。

 最後に最近出回っている野菜と果物について。
 ここのところ、例年に無く涼しく作物にも影響がでてるようです。新牛蒡、夏大根、韮、大葉、ゴーヤ、インゲン、グリーンピース。キャベツも春キャベツの様に生食向きなもの、通年取れる胡瓜も切った時の香りが強くなっていています。オクラ、トマトは例年よりも遅れているようです。
 スイカ、パイナップル、苺は降水量が少なかった関係か甘味が強く、びわ、ライチーが出始めました。

  最後に、チリに行ってきましたところ、この時期多く出回るダークチェリーは、収穫前の時期に長雨があり、その影響で出足が遅れているとのことでした。

  最後に自宅前にあるコーヒーの木に花が咲きました。いまは小さい実になっています。珈琲の花の開花は2日が限度です。香りは柑橘系の香りでした。PB250263.JPG
 
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2009年09月12日

ブラジル・サンパウロ近郊の有機農家を訪ねる

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 ブラジルレポートを漸くお届け出来るようになりました。
 ブラジル及びサンパウロに関してのブログ・ホームページはたくさんありますので、当方てしては、農業関係をお届けする事に致します。


 この1年間、私の参加している『サンパウロ友の会(財団法人全国友の会・海外部)』では、サンパウロ及びモジダスクルーゼスでの「環境によい暮らし方」を研究してきました。
 9月2日(水)その一環として「有機野菜・無農薬野菜の生産現場を訪問する」という勉強会を持つことになりました。
 訪問先は「秋永農園」さん。モジ市では有名な生産者さんです。
『サンパウロ友の会のモジダスクルーゼスに住む会員さんの紹介により、会員とその友人、家族合わせて43人バスに乗って行ってきました。

 サンパウロ市東70km(車/高速道・約1時間30分)に位置するモジダスクルーゼス市から繰るまで40分ほどの距離にあるクリチバミリン村で耕作しています。

 モジダスクルーゼスとその周辺は日本人農業移民者が比較的多く住む所です。(サンパウロ郊外における日本人農業移民の歴史については改めて記します)農産物の多くはサンパウロ市内へと送られ、一部は輸出用に栽培されています。

 クリチバミリン村の地理的説明をしますと、大西洋の海岸から切り立ったように聳える太平洋海岸山脈(マット・アトランディア)[平均標高3200m]西側、大陸内続く丘陵地帯に位置します。気温もモジ市内より2度 サンパウロ市内より7度程低く、日本で例えると長野、山梨、福島等、高原野菜産地に良く似た感があります。海岸からは30キロしか離れていない為霧が多く発生します。

 秋永さん夫妻は此処でずっと野菜を栽培してきました。開拓当初は地力もあり、肥料など無くても良く育ったそうです。
 「しかし、少しづつ地力が落ち始め、遂には土が砂のようになっってしまった。化学肥料も考えたが値段が高く思案していた時、知り合いから『近くで林さんという変わった人が化学肥料無しでいい野菜を作っている』という話しを聞き、訪ねていった。林さんは『上手に堆肥を作れば美味い野菜が出来る。土が丈夫だと虫も付かん』と話してくれた。一緒に聞きに行った人は半信半疑だったが、自分は「これだ!!」と感じた。
 ところが、指導してくれた林さんは少し経って亡くなってしまった。それでも諦めず夫婦で4年間試行錯誤だった。人から聞いて良さそうな事は全部した。
 ある時、他所で有機農業をしている人の紹介から『EM菌』による発酵方法を教えてもらう機会を得た。米糠と焼いた籾殻を利用する方法だったので陸稲を作り今では出来るだけの分は自家栽培している。少しづつ土が良くなってきているのが目に見えて分り、今では自慢の堆肥と土壌です。
 試行錯誤の間、近所の人に変人扱いされ辛い思いもした。無農薬は虫を呼ぶと誤解され、畑周辺に塩を撒かれたこともあった。でも、10年前に『無農薬野菜認定証』『販売許可書』を得、本格的に有機野菜・無農薬野菜の栽培と販売を行っている。
 販売は始めの頃は市場に売りに行ったり、出してもいたが『KORIN』で扱ってくれるようになった。しかし、規格に縛られるので、自分で販売するようにした。また、市場に出すウチの野菜を指名してくれるスーパーも現われる様になった。
 作っているのは葉野菜を中心に年間60〜70種類。出来ないのはトマト。霧の影響でべトがでる。それに、平飼い有精卵。
 畑の3/4で耕作し、後は休ませている。自分の土地と借りている土地で賄っている。自分達の手と目の届く範囲で作り売れば良い。」

 その後、奥さんが「有機農業を始めて土の中にいろいろな生き物がいてその生き物達と一緒に作物を作っているんだと分かりました。皆さん健康な土から健康な野菜は出来るんです!」と語ってくださいました。

 モジ市内の販売所(市場内)に買いにくる多くが欧州系のブラジル人だそうです。もっと日系の方に買っていただきたいです。とのことでした。

 話の会後は畑や鶏舎を見せていただき、取れたて野菜と卵を購入しました。勿論、マイバック持参のお買物です。が、マイダンボール!?まで持ってきた人いて・・・意気揚々と農場を辞しました。国は変れど主婦の行動は同じです。

 ところで、今回の勉強会参加者平均年齢幾つと思いますか?75歳です。最高年齢参加者は91歳の私の友人でありました。ビバ!ブラジル! ビバ!日系!!

 
   
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2009年03月21日

サンチャゴのバス

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   今日はサンチャゴのバスについて案内します。
  
 以前、ブログに書きましたが、「トランサンティアゴ」という名の市内公共交通システム整備でかなりサンチャゴ市内の移動が楽になりました。「Bip」というバス・地下鉄共通パスがお得です。地下鉄駅で販売しています。又此処でチャージができます。

 とはいうものの、国が違えば事情が違います。東洋人が南米では一番少ない国ですから、通勤時間のような込み合う時間帯や運行地域によっては乗車をやめることをお奨めします。近年、南米一治安が良いとは言われても盗難、スリ等の犯罪に巻き込まれますから用心してください。

 などと言うと「こわい〜」ということになりますが、乗る地域と時間を考えればチョット楽しい小旅行気分が味わえます。

 ところで、バス内では「次は・・・です」というアナウンスはありませんので、運転手さんに下りる処を聞いてください。空いている時などは親切に教えてくれます。但し、日本の運転手さんを基準にくれぐれもしないでね。それと、運転はかなり荒っぽいです。&時々、芸人さん・お菓子屋さん・アイスクリーム屋さんが営業乗車してきますのでビックリしないで下さい。必要ないとはっきり意思表示することもあります。

 私的なお奨めは、プロビデンシァ区とロ・バルネチア区を結ぶ各路線です。バス・Cゾーンにあたります。この中にはラス・コンデス区、ビタクラ区もあり安心して乗車できます。また、プロビデンシァ区内は地下鉄も走っていますので、地下鉄を乗り継ぎセントロ(旧市内)にも行けます。

 地下鉄「pedre de valdivia」駅(プロビデンシァ区)を上ると、417番の始発バス停があります。このバスに乗ると、バスは繁華街の通りを少し進んでから、マポチョ川を渡りサンクリスバルの丘脇から自動車専用道路に入ります。
 
 自動車専用道路を下りるとケネディ通り(ビタクラ区)に入ります。直に、「パルケ・アラウコ・ショッピングセンター」前に停車します。
 3つのデパートとチリ始め南米・スペイン・ヨーロッパのブランド店が入っている大型ショップングセンターです。多くのレストランもあり、劇場に映画場、ボーリング場も併設しています。
 隣接して、大型ホームセンター&生鮮食料品スーパーがあります。
 後には、「パルケ・アラウコ(公園)」もあり、季節によって美しい花を見ることが出来ます。因みに「アラウコ」はチリ開拓時代、勇敢に戦った先住民の勇者の名前です。野外イベントも行われます。

 さて、バスは並木が美しいケネデー通りを進みます。周囲はマンションと一軒家が並んでいます。
 暫く行くとまたまた、別の大型ショッピングセンター「アルト・ラス・コンデス」(ラスコンデス区)脇に止ります。先程と同じく、デパート・ショッピングモール・シネマコンプレックス・スーパーが併設しています。此処の「JUMBO」スーパーは、日本人が多く利用するスーパーです。特に魚の鮮度が良く、アルゼンチン産の和牛、豆腐(チョット固いですけど)も売っています。

 豆腐を気にしつつも進めば、先程のショッピングモールを過ぎた所で通りの名前が「ラスコンデス通り」に変わっていますよ。
 周囲にマンションが少なくなりますね。学校やスポーツセンター、塀に囲まれた空き地・・あらっ・・知らない間に山が近くにあることに気がつかれると思います。そうなんです。ラスコンデス区はアンデス山系の脇に当る斜面を開拓した地域で、50年ほど前はサンチャゴのお金持ちの休日を過す農場があったところだそうです。あの空き地は15年ほど前まで牧場や農場があったことを語っていたのでした。

 さて、バスはアレンジ色の屋根瓦が可愛い商店広場を脇に見つつ左に曲がります。付かず離れず沿って流れているマポチョ川を再度渡ります。ここでロ・バルネチア区に入ります。山が迫っていますね。と、可愛い小さな遊園地がありました。休日は結構流行っているそうです。バスは川沿いに進みます。大きな通り「ラ・デエッサ通り」交差します。この交差点左にガラス張りの消防署があります。近くにある日本人学校の生徒さんが社会科見学で毎年訪問しています。

 ところで、この国では消防は多くはボランティアによって行われているとのことです。一年に一回寄付活動があり、個人・企業が寄付をしています。バスCゾーンのような生活に余裕のある人が多く住む地区は自ずと器具や働く人も整っています。

 先程の「ラ・ディエッサ通り」をいきますと、数分でサンチャゴ市内で一番新しい「ラ・ディエッサ・ショッピングモール」にいきます。「一番新しい」ということは「一番お洒落」ということのようで、スーパーも目新しい商品をまず此処で販売するそうであります。

 さて、バスは進み、急に古い鄙びた家が並ぶ地域に入り、遂には山の端の道を走るようになります。小さな川(マポチョ川の源流の一つ)を渡ると、またまた古めかしい別荘のような佇まいの建物が立ち並ぶ街になります。このあたりは以前はサンチャゴ住民の夏の川遊び場だったところだそうです。で、お次は新しい住宅地、古い住宅街と次から次へとサンチャゴ住宅情報番組みたいな展開で進み、気がつけばラス・コンデス通りに戻っています。え〜うっそ・・!?みたいなルートであります。で、さっき通った反対車線を戻ります。

 さっき説明した「アルト・ラス・コンデスショッピングセンター」に渡る陸橋脇に、古い塀に囲まれた大きな民家があります。ビタクラ区が経営する美術館です。絵画・彫刻、時には音楽会や演劇も行われます。チリの田舎の民家が見たい方、一見の価値ありです。

 バスはケネディー通りを走ります。右手のビタクラ区は公園や学校も多い文教区です。特にこの地区はマンション建設の規制が厳しいです。

 そうこうしていると又反対側に「パルケアラウコ・ショッピングセンター」が現われ、バスは自動車専用道路に入り、マポチョ川に沿いサンクリストバルの丘脇の通りを走ります。この地区も古い住宅地で文教地区です。サンクリストバルの丘に登るロープウエイの出発駅もあります。

 さてさて、遂にマポチョ川を渡り小旅行の終わりが告げられます。雰囲気のある繁華街でバスは止ります。終点は始発駅がある「Av.11de
Septiembre」通りではなく「Av.Providencia」通り脇ですので、間違えないでくださいね。

 

 
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2008年12月27日

サンチャゴの地形と街の様子

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 暫く、筆が止まりまして失礼しました。
 と言いますのも、これを書いていますところは、アンデス山脈の反対大西洋側はブラジルのサンパウロであります。
 実は、5月にチリからブラジルへと大陸内を移動したのであります。これを在南米勤務者の間では「横流れ」と言うのだそうで・・。正に「横断」であります。
 
 しかし、引越し荷物は人間のように流動的に横移動することが難しく、待つこと数ヶ月、やっと届いた荷物を新居に納めるまでかなりの時間を要しました。荷物と同じで、人間様も、在留証明書を得るのに時間が掛かり・・、とあっちこっちと国を移動するって時間を気にしていたらストレス溜まること必定です。日本に居た時でさえ「茨城時間」のゆったり人間でしたから、どうにかこうにか楽しんでいます。

 そんな訳ですが、今までまだしていなかったチリに関する事柄がまだありますので、引き続きご紹介してきます。それが終わったら、次はブラジル&サンパウロ編となります。チリ編が終了したら、一応タイトルを変更しますが、宜しくお付き合い下さい。

 サテ、本日は「サンチャゴの地形と街の様子」と言う硬い話題です。
 
 チリの首都、サンチャゴは東にアンデス山脈、北と南はアンデスに続く山が囲み、西には太平洋海岸線からの風をさえぎる低い山地が連なっている盆地です。
 市内 東に スキー場がある4000メートル級の峰が連なり、西に向かい 次第に低い山が重なり、最後は丘となります。即ち、サンチャゴの街は東から西へと緩やかな勾配で形成されています。
 ですので、昔は郊外地域であった、ビタクラ地区、ラスコンデス地区の道路は緩やかな坂道が多いです。一番新しい住宅地域 ロ・バルネチア地区はその上に位置し、マンケウエ山の山腹に広がる高級住宅地となっています。
 
 市内北に富士山に似た山(マンケウエ山)が聳え、「サンチャゴっ子はマンケウエ山で北の方向を知る」と言われています。そのマンケウエも西に向かって徐々に低くなり、観光客は必ず行くというサンクリストバルの丘となります。このサンクリストバルの丘端にはサンチャゴを見守るように大きなマリア像が立っています。此処に上れば、サンチャゴの地形が一目でわかります。ご覧になった方はきっと京都や松本の地形に似ているな、と思われるでしょう。

 
 また、マンケウエ山の麓に沿って、東から西へとマポチョ川が流れています。この川の源流は勿論アンデスの山々であります。
  
 盆地の中央部辺りになると、勾配もなく平坦な地形と変わります。
 中央部やや北側に小高い丘があります。
 この丘がサンチャゴ開拓の始まりの丘、サンタ ルシァの丘です。此処に1541年 2月12日 スペイン人ペドロ・デ・バルデビアにより砦が築かれ、丘麓に教会堂を中心とした村が出来、サンチャゴ市となります。
その後、バルデビアは次々とチリ各地に町を創立していきます。 
 このセントロ(中心の意)と呼ばれる地域がチリの最も古い歴史的建造物が多い場所であり、現在もチリの経済の中心地です。
 
 マポチョ川は、サンクリストバルの丘とサンタルシァの丘の間を流れ、緩やかにサンチャゴ旧市街地を南に向かって囲むように進み、その後西へ西へと太平洋に流れ出ます。(川幅は源流から河口までの距離が短いので広いものではありません)

 現在のサンチャゴは、市街地を北は国道5号線(パンパシフィック道路)沿いマンケウエ山を越え、南西はマポチョ川沿いと港町バルパライソに向かう高速道路に沿いに広がっています。

 写真は、マンケウエ山、アンデスの山並み、サンタルシァの丘、セントロの町並み、セントロ地域を流れるマポチョ川です。
   
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2008年03月04日

国が違うと変わるインゲン豆の切り方

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  皆既月食新月の次に突然野菜の調理法が出てくるのが、オバサンブログならではとお付き合い下さい。

  前にも記しましたが、日本の野菜は世界的に小型ですね。&皮が薄いので汁気が多いと思います。これは、日本の湿度と独特の土壌の為と思います。ひと頃話題になった「アンデスの何とか」というトマトの皮も柔らかでしたから、やはり、日本は野菜栽培に適した国だ思います。
 我が常陸の国菜の花ネットワークが誇る「湖に優しい野菜シリーズ」を始めとする茨城県産地場有機栽培野菜は世界に通用する「IBARAKIブランド」に成り得ると確信しております。 
 演劇 湖にやさしい野菜シリーズは、霞ヶ浦の外来魚除去対策の一つとして立ち上がったプロジェクトから生まれた農産物の名称です。外来魚を魚粉にし、その魚粉を使い野菜や卵等の農産物を現在、地元霞ヶ浦周辺の有機栽培農家が生産しています。地元のスーパーを始め参加する農協や生産者組織のよって首都圏のスーパー、生協にも出荷されています。

  
  さて、ご当地の例えばトマト、実も皮も硬いので皮を剥いて調理します。サラダに使う時も皮を剥きます。皮に農薬が付着しているからという話しもありますが、私は農薬を使用する前からある伝統的な調理方法で、材料の性質によると思っています。

 レストランピーマンも同じで身が厚いです。故に野菜の特質を生かした調理方法として「野菜のオーブン焼き」があるのだと判りました。トマトもピーマンも焼いた方が甘味が出て美味しいのです。
 又、赤ピーマンは焼きナスのように焼き網で真っ黒になるまで焼き、皮を落とすと身が柔らかくなります。これを、千切りにし、塩とオリーブオイルをかけ、冷やして供しますと前菜となります。
 また、フードプロセッサーでペーストにし塩、オリーブオイル、香草を加えますと肉や茹で野菜のソースになります。マヨネーズソースと一緒にしても美味しいソースとなります。お試し下さい。
  
 サテ、今回のタイトルにありますように、インゲン豆ですが、写真をご覧のように日本のインゲン君のお父さんくらいの身の丈と胴回りです。実がしっかりと鞘の中で育っています。これをそのまま茹でて食べますと、硬い筋が針金のように咽喉に引っかかり思わず死ぬどんっ(衝撃)という体験が出来ます。来チリ時は夫をこのような悲しい目に時々会わせもうやだ〜(悲しい顔)、スーパーで、細身のしんなりしているインゲンを時間をかけて選んでおりました。
 
 ところが或る日レストランで出て来たレストランインゲンのソテーを見てホホウ・・、と感心したのが写真の切り方です。
 即ち、インゲンの削ぎ切りであります。こう致しますと茹でてもあら不思議、筋が気になりません。少なくとも夫は平気で(実験しているわけではありませんexclamation)食しておりますし、勿論私めもゲヘッとお咽喉を痛めることが皆無になりました手(チョキ)

 これも、先のトマトやピーマンのようにお国変われば調理が変わるの一つであります。
 ひらめきそういえば、タイ国では、縄に様に長いインゲンもありましたが、あれはそんなに筋っぽくなかったです。今や日本ならずチリでもブームになりつつあるタイ料理のサラダに良く使われていました。

 という訳で、今日は野菜についてのお話でした。コップンカ&グラシイアス・・。
 
 
      
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2008年03月03日

2月20日深夜皆既月食がありました。

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       サンチャゴで見た「皆既月食」

  知人より、2月20日(水)にチリで皆既月食が見られるとの情報を頂きました。日本は正午の時間帯であり、気候的にも条件の良い当地で眺められるとはラッキーとばかりに、夕食も早々と済ませ天体ショーの始まりを待っていました。その間も、友人達から見えている?見えた?の電話有で結構みんな楽しみにしているんですね。

 午後8時半過ぎ、まだ西の低山へと日が沈みかけた頃、南南東にある山から満月が出ました。
  月はゆっくりと昇り、9時半頃には東に位置するアンデス山系の山並みの上を照らし出しました。
  10時43分 月の右下から少しづつ黒い影が現れ始め、次第に左上に向かって影が大きくなっていきました。
  0時5分 完全に地球の裏側に入りました。月の色は真っ黒ではなく、黒味を帯びたオレンジ色でした。丁度卵を電気で照らした時のように、オレンジ色の球の中に奇妙な黒い影が漂っているふうに見えました。
  0時25分 少しづつ右上から光が出てきましたが、光は鈍く、影は益々黒味を帯びてきます。
  1時20分 影の色は真っ黒となり、右上から照りだす光は輝きを増し、普通見る月光の光量となりました。

  50代の私はこれまで何度か月食を見ましたが、アンデスの山並みを背景に見る天体の変化には、今までとは全く違う趣を感じました。

 まず、マチュピチュの天体観測のあったという石作りの遺跡を思い出しました。絶壁の岩山の段々畑で暮すインカの人々はこうした変化をどのような思いで見ていたのでしょうか。天変地異の前触れ、或は吉兆の前触れとして見ていたのでしょうか。月食を予測できたのでしょうか? 

 完全に影になった時のあの気味の悪い色は、天体の摂理を知らない人々に恐れを抱かせたことでしょう。知っている私でさえ早く光輝く月に戻って欲しいと思いました。皆既月食を政治的に利用してもおかしくないと思いました。

 古代では、天体運行の知識のある科学的な思考能力を持つ人と全く無知な人の差は大きく、持つ人即ち支配する側と、持たぬ人即ち支配される側を作ったのでしょう。教育は特定な人々だけに受け次がれ、格差は続いていたのではないでしょうか。
 マチュピチュに住んでいた人たちは高度な知識の持ち主ばかりの最新の知識集団であったと聞きました。が、ある時期を境に彼らは山を降りアマゾンの熱帯雨林の中に消えていったそうです。彼らは何を見て、知って、考えて、そう悟ったのでしょうか。
 変化する月を見ながら、自分がそうした頃のマチュピチュの人間だったらどんな心持でこの月を見るのだろうか?と思いをめぐらし眺めていました。

 ですが、眠気には勝てず4時30分にふと目が覚め、慌てて窓の外を見ました。
 もう満月のお月様になって西の空で輝いていました。
 やっぱり満月の福福しいお月様が良いですね。安心して寝床に戻りました。

 ところで、私が見た限りでは、チリのテレビや新聞で大きく報道された様子はありませんでした。日本の新聞でしたら第一面に載ってたりしますが・・。もしあったら確認ミスです。失礼しました。チリの国民の皆様にお詫びします。ですが、知っているチリ人に話しをしてもあまりこの手の話しに興味を示さないのです。まあ、未確認飛行物体を見慣れているようですから、たかが月が欠けたの何のという現象はニュースソースとしては今一だったようです。
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2008年02月23日

連日30度以上のサンチャゴです。

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  連日30度以上の晴れ日が続いています。こんなに残暑が長いのも例年に無いとのことです。我が家のある地区は東京でいうと練馬区とか世田谷区辺りの緑がある住宅地なんです。なので、夕方になると涼しくなりホッと一息つけるのですが、今年は日が落ちてからも結構熱気が残っていますし、湿度が高くなっているとのことで、しっかり汗が出て、気候が変化しているのが解かります。だんだん日本の夏に似てくるようです。
  先日は、来チリ始めて蚊を発見し&刺されました。まさかの用心で持ってきた「キンカン」を開封し久しぶりのあのアンモニアの臭いに、郷愁を覚えました。

  こうなると、夏の野菜に果物で乗り切るしかありません。
  
  さて、野菜と果物の写真がありますが、これが近くのスーパーで売っているといっても信じていただけるでしょうか?梨も大根も胡瓜も・・みんなサンチャゴ近郊で取れた野菜と果物です。

  しかし、最近の気候変動で今年は水不足が心配されています。野菜や果物への影響も出ることは確かでしょう。散水も自粛するようになりました。
  

  水といえば、チリの電力の多くは水力発電によるものですが、水不足で発電量の減少が見込まれています。その為に省エネルギー対策としてサマータイムを1ヶ月延長しています。このまま行くと冬には停電もありう得るとか・・。
  原子力発電は現政権が認めていませんのでありません。
  頼みの綱は隣国アルゼンチンから繋がるパイプで送られて来る天然ガスですが、両国の政治的な関係で来たり止ったりとのこと。

  「風のパタゴニア」といわれるくらい強風が通年吹くパタゴニア地方での風力発電計画もあるようですが、実際稼動は無いとのことです。近年こうしたエコエネルギー対策にドイツが積極的に関わってきているという話しも聞いています。パタゴニアはドイツから移民した人が多く住む地方ですのでこうした協力も比較的容易に進むのでしょう。
  北のアタカマや南のロスラゴス辺りの火山地帯での地熱発電を計画しているようですが、こちらも実現するまでには至っていません。その地熱発電技術に関して日本に期待する声もあるとのことです。
 日本では、東北地方で2ヵ所あったと記憶しています。ただ、地熱の進まない原因はその備蓄システムにあると聞きました。大学としては九州大学がそのパイオニアと聞いていますが・・。どなたか詳しい方のコメントが戴けたら嬉しいです。

  今日は「暑い」でスタートして「地熱発電」まで話しが繋がりました。そうそう、農産物も人間のエネルギー源ですから、チリも日本も「エネルギーの地産地消」を本気で考える時期に来ていますね。 
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2008年02月08日

チリのワイナリーって

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左:サンタリタワイナリー       右:インドミタワイナリー

葡萄畑と中庭から見たレストラン    デザート・レストランから見た葡萄畑   





        さすがワイン産出国
           ワイナリーはお洒落

  チリに来て「う〜ん・・。どうにかならんかね〜」と思うこと多が多いのですが(まあ、よそ様の国ですから)さすがにワインに関しては「ほ〜」と感心すること有です。

  これまでで3ヶ所ワイナリーへ行きましたが、まず、訪問者へのアプローチが積極的だと感じました。

  バー試飲の量が半端じゃあない。ワインだけでなくおつまみにも結構気を使っている。(塩味がキツイのはお国柄です)その上ついでにレストランレストランまで作っちゃいました。という次第です。 ワイナリーオリジナル帽子にTシャツ、ポロシャツ、ワイングッズと販売コーナーで売っています。

 観光会社とタイアップしたワイン生産組合もあり、土曜日には有名なワイン列車を走らせています。この列車、遠くはアメリカからもお客がワザワザ乗りに来るほどの盛況ぶりです。

  ところで、サンチャゴからは1時間も高速を車(セダン)走らせればレストランもあるワイナリーに行きことが出来ます。

  西、バルパライソへ行く途中にあるブドウ畑の丘の上にレストラン併設のインドミタワイナリーと5号線を南にくとあるサンタリタのワイナリーのレストランの写真をご紹介します。

  西、バルパライソへ行く途中、カサブランカ渓谷を走る高速道路から見える白い建物が Indomitaワイナリーです。観光客が良く訪れます。
 目の前に広がる葡萄畑をガラス張りのレストランで楽しめます。ここのシェフは、サンチャゴの有名ホテルの料理長も勤めた人とのことでなかなかお洒落で、チリにしては塩気が少ない料理が出てきます。  
 

 
クラシカルな雰囲気を楽しめるのが Santa Ritaのワイナリーです。
 昔の荘園の建物の中がレストランになっており、伝統的な料理が味わえます。チリの歴史にも深く関わり、ラベルのデザインにもなっている本館家は現在ホテルとなって営業していますが、ホテル予約者以外は立ち入り禁止でした。葡萄畑の写真を撮ってきました。

 ところで、来客は大方が自家用車(セダン)利用です。以前 アサード(バーべキュー)の項でお伝えしましたように、飲酒運転が暗黙の了解になっております。
 これから、葡萄の実が熟し葉が紅葉しだしますと、ワイナリーのある谷は赤や黄色に染まり益々美しくなります。休日を郊外で楽しむ人も多くなってまいります。  チリでの休日の郊外へお出欠けの際はバー眠い(睡眠)の人からの貰い事故に会わない様、お祈り申し上げます。

 以上、これから秋を向かえるチリを楽しむ情報でした。       
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この頃の果物

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   さくらんぼが安いexclamation×2ん&スイカも安い手(チョキ)
 
 11月中頃から、店頭に出始めたさくらんぼ、日本ではアメリカンチェりーの名前で出ています。最近はアメリカよりもチリ産が多いかもしれません。チリチェリーにして下さい。っと言ってもなんかインパクト的にも「アメリカ!」には敵いませんね〜。
 
 余計な事はさておいて、露天のチェリー&ベリー屋さんが出るほどチリ人はチェリーにベリー類が好き黒ハート前住んでいたバンコクではドリアンの季節になると現れる「ドリアン屋」ありましたが、似ていますね。
 
 クランベリーにラズベリー、桑の実ですかねブラックベリーと同じ頃から売り出されます。青山にある有名タルト菓子店の人気ナンバー1の「ベリーベリーパイ」よりも豪華に我が家のヨーグルトが華麗に変身をする季節です。
 さくらんぼ、出始めは1キロ・1200ペソ(350円位)くらいだったのが最近では900ペソ(230円位)です。

 さて、スイカも出回っています。巨大スイカであります。
ここ数年前から、日本の種屋サンのお蔭でしょうか、小玉スイカも登場しています。先日に買った巨大スイカは1個1200ペソ。
 隣にあった、果肉が1個緑色のメロンが550ペソ(135円位)オレンジ色の果肉のメロンは440ペソ(115円位)でした。
 2人暮らしの私達ではありますが、巨大スイカを毎夕食後、豪快に食べております。まあ、主に夫ですが・・わーい(嬉しい顔)

 また、果物系のお買物は何故か 何処のお宅もお父さんの担当のようで、大きな手でさくらんぼを一つ一つ、オフィスと同じ位真剣にチェックし、量り売り用のビニール袋に入れています。長い物には巻かれろ式に我が家もご同様で夫に果物はお願いしております。故に食味の事での意見の相違から生じる軽い衝突(「不味いじゃあないか。良く見て買えよ雷」「食べるだけの人のいう意見はご遠慮願いますパンチ」等の些細な話です)が無くなり、食の話題も増えましてこの買物スタイルは良いかも・・ムード  何かのご参考になりましたら幸いです。
 
 因みに同じような光景はアイスクリーム屋やチーズ売り場でも見受けられます。いろいろ味見して後、徐に注文するお父さん、結構います。一家の長として如何に美味しい物を一族に与えるか手(グー)、という威厳さえ感じられます。

 

 それはそれとして、チリの気候は乾燥し表土も乾いていますが、豊富なアンデスの伏流水があり、腐らず管理できることから輸出用果物栽培に向いているとのことです。また、雨が少なく晴れ時間も長いので糖度が高いです。

 生鮮食品だけでなく、缶詰、ジャムの生産も盛んです。黄桃の缶詰を購入されたら生産国を見てください。チリ産の表示が多いと思います。

 そんなこんなの果物&買物風景情報でした。
 次のページにはスーパーの果物コーナーの写真があります。

 
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2008年01月31日

遂にチリの鉄道で電車が走っているのに遭遇しました!

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  チリの鉄道事情

 来チリ以来不思議な事の一つに、サンチャゴ市郊外にある線路に電車が走っている光景を見たことが無い、という不思議がありました。

 以前、バスで2時間近く移動後、近郊の町から蒸気機関車でワイナリーを見学するというイベント汽車には乗ったことがあったのですが、サンチャゴ近郊を走る電車を見たことがありません。南の方へ向かう電車はあると聞いていたのですが、北方向は線路ばかりで出遭った事がありません。
 
 ところが、先日の日曜日の朝、その日も夫と「線路ばっかりで電車に遭遇しないね〜。これの分だと日本に帰るまで一度も会えないかもね」「仕方ないよ。この線路は1週間に一回バルパライソに行く貨車が走るだけだからね。出会えるなんて奇跡に近いね。」などと投げやりな会話をしていたところ、
 なんと、午前11時40分過ぎ、北へ向かう国道5号線(Panamericana Norte 南北アメリカ大陸横断道路)右脇脇にある線路をひた走る軌道車を発見しました。電車は丁度、アコンカグア川を渡るところでした。
 実を申しますと私共夫婦、結構鉄道好き(夫の母方は代々西日本鉄道系鉄道一家。私は生まれ育ちが東京北区にある尾久操車場近く)でして、突然血が騒ぎ出し、デジカメを取り出すや激写を試みますが、ひえー・・焦ってばかりで変な写真ばかりであります。
 
 予てから「ここで写真に取れたら嬉しいね」の地点 Las Chicas峠手前の CUESTO駅が近かったので、ぐんとスピードを速め、駅脇道路脇に車を止めるや否や、夫婦2人飛び出し、電車の写真を取り捲りました。
 丁度、休憩でトラックを止めていたオジサンたちは、突然現れた胡乱な東洋人の夫婦の行動に目が点でありました。
 写真を取り合えた後、彼らの視線に気が付き早々に退散した次第です。

 さてさて、その後海沿いの宿で1泊し、帰路に着いた私共です。
 またまた、5号線をサンチャゴに向かい暢気に走りながら「いや〜昨日は千載一遇の機会を得て満足。満足良い旅が出来ましたね」「今度遭遇したらこの景色でお会いしたい物ですね〜」などと、薄茶色の乾いた土にサボテンや潅木が茂る山の真ん中に定規で引いたような線を描き走る鉄道線路を見つつ、勾配があるLos Chicas峠を上り越し、牛だの羊だのが草を食む牧場を過ぎ、左に走っていた線路も右になって暫く走っておりますと「!?お父さん!あれ!貨車です〜!」ああ、何と貨車を引き連れたディーゼル車がこちらに向かっって来るではありませんか。
 日本の貨車数を越えた大貨車群団とすれ違うや否や二人して「今なら間に合う!」と叫んでしまいました。
 と夫はスペードアップし、近くの側道に飛び出し、5号線の下を潜ると元来た道を引き返しだしました。
 目指すは昨日のシャッターポイント Cuesta駅! 又しても2人激写!であります。午後5時45分Cuesta駅通過。
 撮った後「早く乗れ!」との号令と共にさっきは暢気に通ったあのベストポイントへ。先に着くと待ちうけて、今度は心落ち着け写真を撮りました。
 午後6時6分、まだ明るい空の下、傍目から見たら狂気の沙汰の東洋人夫婦を残し、雄雄しいディーゼル車と寡黙な貨車の一団は乾いた山肌を縫って走り去りました。

 後日、この国の鉄道事情を少々調べましたら、何処も同じ事情で鉄道は時代の遺物化しているようです。鉄道が整備されている都市は数えるくらいしかありませんでした。
 先日もニュースで、最新システムの電車を走らせていた南の都市も、経営の悪化の為に運行中止になった(スペイン語能力不足による解釈ですが、休止かも・・)と伝えていました。
 今や、この国の交通手段はバスとトラックです。長距離バスにトラックが北へ南へ5号線を中心に引っ切り無しに走り、昔はアンデスを越えていた鉄道路線は廃線となり、東のアルゼンチンとアンデスを越え西の太平洋とをトラックとバスが結んでいます。
 人口が少ない事に加え近年の都市部への人口集中と、国土が南北に長いことが鉄道経営には適さないのでしょうか。

 結局廃線になって一番迷惑を被るのは、チリでも同じ、車を購入できない人、学生やご老人、女性に子供、弱者といわれる人たちです。 チリの鉄道事情から廃線になった関東鉄道鉾田線を思い出し、複雑な思いでいます。
 
 鉄道国日本。とはいえ、この時点で今一度、「本当に私の暮らしに自動車は必要なのか?」「自動車でなければダメなのことってどれだけあるのだろうか?」「以前の交通手段は本当に今の暮らし方に不適切なのか?」みんなでチェックして、鉄道と車、他の移動手段の共生を考えてみませんか? 

 私的には、馬車の復活なども有かな。と考えてはいますが・・。
posted by nabana at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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